真岡市の夏祭りに関する情報について


 長い歴史をもつ真岡の夏祭りですが、現在の形になったのは、まだひと昔ほど前のことです。それまでお祭りとは見る行事でしかなく、さりとて神輿を担ぐにはちょっと自信がない、そんな時代が長く続いていて、誰もが各町に我が寿町にも屋台ができると聞いて、胸を高鳴らせたものです。
 当時の区長 天堤秀郎さんをはじめ多くの方々の献身的な努力によって、資金的・物理的そして組織的な協力体制ができ、素晴らしい屋台ができあがりました。いわばひとつの歴史が作られたのです。
 たかがお祭り、されどお祭り。そのまさに一瞬のまたたきに燃え上がり、燃えつくし、過ぎ去って行く三日間のために打ち込める魂の城ができたのです。そんな意味で、おそらく半世紀たっても変わることのない風格を備えた屋台を作ってくれた先輩たちに、あこがれと敬意を表します。
 


 泉町では、手作りの万灯御輿と屋台が製作されるなど、多くの夏祭りの歴史が刻まれてきています。特に山車屋台の製作は、NHKテレビが全国に紹介するなど大きな反響を呼び、このことが市内各所に屋台復活を生む発端ともなったことはご承知の通りです。もはや、泉町が真岡の夏祭りに欠かすことが出来ない町会であると自負しております。
 平成15年春には泉町おはやし会創立二十五週年と泉若創立20周年を迎え、その記念誌を編纂する機会がありました。過去の泉町夏祭りの歴史を調査する中で、泉町の先輩たちの業績をかいま見ることが出来ました。その中で近年の夏祭り巡業は住民による手作りの祭りにする、といった精神的バックボーンに支えられていると強く感じました。
 花屋台から現在の屋台へと変わり、現在の屋台事態も彫刻の追加、木製車輪の新規製作など、年とともに充実してきました。木頭、元綱、先綱など運行の役目も確実に分担され、安全第一に巡行され、綱を引く子供たちも息が合っています。
 


 旭町屋台は、昭和59年に市からの呼びかけに町会が応じて制作し、同年11月に実施された市制30周年の記念パレードに参加しました。
 屋台は彫刻を中心とした白木づくりで、総けやき造りのため大変重量感のある屋台であります。
 特に夜間は照明に生えてとても見応えがあります。
 この屋台の制作をきっかけに「旭若」が翌年に結成されました。
 また、屋台製作時の役員を中心として「旭町世話人会」も同じ頃結成され、以後旭町の祭りは、旭町町内会、世話人会、旭若の三者が中心となり町内一体となって運営されております。
「屋台のほかにぜひ神輿もを担ぎたい」との若い衆の熱意を受け、平成元年には、当時北関東で唯一の六角万灯御輿を製作いたしました。
 いまではお祭り広場、花火大会においても屋台と御輿が参加し、旭若の心意気を遺憾なく発揮しております。
 


 桜町では「新しい町作りと子供たちに夢をふるさとの思い出を」から祭りによる地域・町内会の一体感を持ちましょうと、昭和六十年に子供神輿、六十三年に「桜若」結成そして平成元年桜御輿を完成、市内の祭りに参加してきました。
 住民の夢、特に子供・若連の気持ちはさらに大きくふくらみ「山車製作」の要望となりました。その結果「町内全戸参加負担による山車作成」を平成五年四月区通常総会で決議しました。その年の六月、山車本体を南那須の宮大工北条則夫氏に、彫刻一式を美和村木彫士内田好近氏に、さらに山車本体の金具刻字板金を町内の大塚勝六氏に依頼しました。平成六年七月に本体が完成し、平成八年六月彫刻等も完成し桜町全員の念願であった汗の結晶「桜町山車」が新調されました。現在桜お囃子会の「森光流五段囃子(保存伝承一号承認)が夏祭りに賑やかに流れています。
 なお、山車の内室に彫刻し宇佐見兼吉氏寄贈の四神(天の四方を納める)相応護符が奉られ、巡行の成功・安全・無病息災・長寿が祈願されています。
 


 田町の彫刻屋台は、江戸時代末期〜保存されてきたものを、真岡市制三十周年にあわせて、昭和五十八年七月に修復されました。同年九月には、真岡市の有形文化財に指定され、今日ありますのは先輩の町会役員、かつての屋台の経験者の方々、町内の皆様方のおかげであります。
 その後、屋台廻りの防護策の新設、昭和六十三年には、栃木県と真岡市の地域文化保護事業の認定により、車輪の修繕取り替えをしました。屋台の復活は、祭りに活力を与え、町内の連帯づくりを盛り上げ、真岡の夏祭りは大きく生まれ変わりました。
 また、「万灯御輿」は若者たちの念願でありましたが、田若役員の熱意と多くのご賛同者のご協力により、平成八年七月に大畑耕雲先生の武者絵とともに完成を見、直後の夏祭りに、初お披露目をすることが出来ました。
 


 昭和五十二年の夏、台町の若衆が子供の頃屋台を引いたあの懐かしい夏祭りをもう一度と、十数年途絶えていた夏祭りの屋台巡行を復活させようと常磐町の子供屋台を探し出して、町内に懐かしい祇園ばやしと共に台町に子供屋台が巡行されました。その後昭和五十五年、解体保存してある彫刻屋台を確認した台町の若衆が、彫刻を常磐町の子供屋台に取り付けて巡行しました。昭和五十七年、解体保存されていた彫刻屋台を、董若の会員手作りに依り復元しました。
 それから次第にあちこちで夏祭りの復活の火がともされ、昭和五十九年市制三十周年の記念の事業として各自治会に放いて屋台の製作が行われ、台町に砕いても彫刻を茨城県美和村、鷲子彫伝統工芸技術伝承者内田好近氏に依頼し、重厚な彫刻屋台が完成し祭りの主役を演じていました。
  その後、祭りを預かる董若と自治会の方々の更に素晴らしい彫刻屋台にと、昭和六十二年内田氏の協力を得て、屋台屋根に二対の龍を配し更に重厚さを増した台町彫刻屋台が完成しました。
 


 並木町の夏祭りについて は、多くの先輩諸氏の方々の献身的なお骨折りと地域住民の絶大なるこ協力により、見事な彫刻と、せり上りの人形山車の勇姿は、見る人の心を驚かせ、昔日の巧の技の素晴らしさには、他町会には見られない、光彩と調和のとれた人形のよさは、真岡の山車のなかでは、なかなかの絶品であると言われることではないかと思います。
 この恒例の夏祭りに当っては、過去の当番町会の体験を踏まえ、連合会役員をはじめ、地域公民館・祭りの中心となる並若や、プラム会・子供会育成会・愛宕会・商店会等の各種団体の協力のもと、展開され催されております。又、この夏祭りに欠かせないのが、平成六年に発足した 「並木町お喋子協力会」 です。 ″地域の文化伝統を継承し育成する″ と云うスローガンの下、毎週土曜日の午後七時より練習を積み、祭りの山車での披露を目標にし、お嘲子会員の熱演が期待され、祭りを活気づけるための勇壮な、ばちさばきには地域住民からの熱い声援がおくられています。
 


 屋台の製作につきましては、市職員互助会員全員の浄財のみで製作することを申合せ、平成七年九月第一回屋台製作委員会の開催を皮切りに、視察、調査検討、講演等を繰り返し、(財)日光社寺文化財保存会の岡部信夫先生に屋台製作の総合指導を依頼し、会議の開催も二十数回を越えるに至りました。
 この間、鹿沼市をはじめ各町会・先輩諸氏のご指導を受けながら計画を進め、さらに、多くの方々のご理解とご協力を得ながら製作して参りました。結果、平成九年六月二十九日に屋台(全長四・八四㍍、全幅二・九二㍍、高さ四・四六㍍) の授工式を挙行するに至りました。
 さらに、運営につきましても、平成八年十二月に各町会の組織に合わせた形で「真岡市職員互助会夏祭り運営委員会」 が結成され、若組織につきましても、「市若(いちわか)」 と命名し、真岡市町会連合会のご承認を得て、平成九年三月二十二日に組織が発足・披露されました。
 
 

 本ホームページ内の文は「真岡の夏祭り」(発行所/真岡市夏祭り奉賛会、責任者/上野 功氏)から引用させていただいております。